平成20年度 東京明新会 総会・懇親会式次第
平成20年(2008年)6月21日
 
《総 会》14:00〜15:00
1.開会のことば・・・・・・・・・・・・・・・・・   高 島 泰 法(56年卒)
2.会長挨拶・・・・・・・・・・東京明新会会長     福 野 幸 央
3.来賓祝辞・・・・・・・・・・社団法人明新会会長   田 中 廣 昌
                藤島高等学校校長    赤 澤   孝
4.会務報告・・・・・・・・・・東京明新会幹事長    内 田 重 和
5.記念講演・・・・・・・・・・東京大学教授      吉 川 暢 宏(56年卒)
「美肌の力学〜工学と美容の妖しい関係」
《懇親会》15:00〜17:00
1.乾 杯・・・・・・・・・・・東京明新会名誉会長   塩 崎 秀 司
2.新入会員ご紹介
3.交流タイム
4.来賓挨拶・・・・・・・・・・近畿明新会会長     前 川 一 郎
中京明新会会長     金 井 邦 夫 
5.交流タイム・・・・・・・・@明新会総会(福井)の状況報告
                 A福井県東京事務所からの報告
                B幹事年(東京)からの報告
6.校歌斉唱・・・・・・・・・・@福井県立福井中学校第一校歌
                A福井高等女学校校歌(勝見時代)
                B藤島高等学校校歌
7.次年度担当学年代表挨拶・・・57年卒業生代表    堂ノ上 武 夫
8.当年度担当学年代表挨拶・・・56年卒業生代表    北 川 博 一
9.閉会のことば・・・・・・・・東京明新会相談役    橋 本 義 雄(15年卒)
※ 敬称は略させていただきました
 

    平成20年度東京明新会総会記念講演
                                                                             2008年6月21日(土)
     「インテリジェントロビー・ルコ」
 美肌の力学−工学と美容の妖しい関係
 
吉川顔写真
   東京大学生産技術研究所 教授 吉川 暢宏 氏
 「お肌の曲がり角」とよく言われますが、その物言いからは「曲がり角を 過ぎると急激にお肌の調子が変化して、歳を実感するはずだ」という思い込みが感じられます。では、その曲がり角はいつなのでしょうか?本当にその急変を実 感しているのでしょうか?実感しているとしたら、どのような部分で感じるのでしょうか?
 
 化粧品メーカーのスキンケア製品開発は、その曲がり角の到来を、なるべ く遅く、できれば永久に先送りすることを目標にしています。そのためにはまず、曲がり角とはどのような状態なのか、明確にすることが必要です。そのため に、肌の表面を観察したり、内部の組織の状態を測定したり、急激に吸引して肌のはりを測定したり、様々な方法で変化を捉えようとしていますが、ここにきた ら曲がり角であると明示はできないのが現状です。ですから、曲がり角については、個人の印象に因る部分が大きくなり、感覚的で微妙な言い回しで化粧品の効 能をアピールせざるを得ないことになっています。
 
 私の研究室では、その曖昧な部分に工学的手法でメスを入れることを研究 課題としています。曲がり角の科学的、定量的評価方法です。皆さん同意いただけると思いますが、「シワ」は肌の老化を示す典型的な指標です。歳をとれば 「シワ」はできやすくなるわけですが、そのできやすさを定量的に評価できれば、肌の曲がり角を科学的に示せると考えています。
 
  自分の本来の専門である、機械工学においても、「シワ」が問題となる ことがあります。金属製のパイプを曲げていくと、全体が一様に曲がるのではなく、ある部分に折り目のようなしわが入り、その部分に変形が集中して、一揆に 壊れてしまうことがあります。このような現象を、工学では座屈(ざくつ)と呼びます。機械や構造物の設計では、座屈のしやすさを評価して、使用中の安全性 を確保することが行なわれています。その際に、コンピュータシミュレーションを行なうわけですが、その手法をひとの肌に適用すれば、「シワ」のできやすさ が評価できます。
 


 少々専門的になってしまいますが、肌の座屈シミュレー ションを行なうと、最小座屈ひずみと座屈モードという量が評価できます。最小座屈ひずみとはシワのできやすさを示すもので、座屈モードとはそのシワがどれ くらいの深さであるかを示すものです。加齢により、表皮と真皮網状層は硬くなり、真皮乳頭層は厚くなります。これらの状況を反映させて、年齢ごとに肌の座 屈シミュレーションを行なうと、30歳から40歳の間で、突然シワの深さが深くなることがわかりました。この急変を「お肌の曲がり角」と結論付けるには、 もう少し検討が必要ですが、化粧品メーカーからは注目され、今までの感覚的な評価に代わるものとして期待されています。今回の講演では、工学と美容という 一見縁遠いフィールドが、難解な数学に基礎を置く座屈シミュレーションにより結び付けられる妙を、浮き彫りにできればと思います。
 
 
【講師略歴】
1981年3月 藤島高校卒
1990年3月 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻博士課程修了
1990年4月 東京大学生産技術研究所 助手
        同講師、助教授を経て
2005年8月 東京大学生産技術研究所 教授











福井からの報告 〜第57回明新会総会 記念イベント等〜
 
@ 平成20年5月23日(金)藤島高等学校 「ようこそ先輩」 
(5月24日付 福井新聞記事より)
 さまざまな分野で活躍するOBを招いて話を聞く「ようこそ先輩」が二十三日、藤島高で行われた。二十七年前に卒業し現在、医者や大学教授、企業の第一線で働く会社員らが、後輩に仕事の体験談などを披露した。
 同校卒業生でつくる明新会が十年前から毎年企画。一九八一年卒の四十人が講師を務めた。
 トヨタ自動車の中山佳行さんは車の開発の体験談を発表。完全自動運転車を製品化できずつらかったことや、ハイブリッド開発に貢献できたことなど現場の生の体験を伝えた。
 東大教授の吉川暢宏さんは大学教授の仕事について説明。「研究者を目指すなら、新たなことの開拓が必要。協調性を持ちながら、独自の世界をつくることが大切」とアドバイスした。
 吉川さんの授業を受けた高嶋健伍君(一年)は「教養を広げないといけないと思った。興味があったので勉強になった」と話していた。

全体講師の皆さん



 
A 平成20年5月24日(土)フェニックスプラザ小ホール
 
1 ピアノ&ファゴット演奏 「唱歌でつづる日本の四季」〜校歌とともに〜
ファゴット 鎌田比呂美さん
ピアノ   三輪真理さん
                  
  演奏

それぞれに音楽の道を歩まれ、今でも広くご活躍されているお二人に、小栗克裕さんにこの記念イベントの ために編曲いただいた「唱歌でつづる日本の四季」をご披露いただきました。この日のために練習を重ねられ、美しい音色に聴衆の皆さんも酔いしれました。

藤島高校の校歌が随所にちりばめられ、まさに明新会の記念イベントにふさわしい名演奏でした。

 

2 幻の「足羽川」 同窓会で合唱/藤島高OB 笠松さん29年前に作曲
(5月23日付 福井新聞記事より)
 藤島高の校内合唱コンクールで一九七九年にただ一度歌われた幻の曲「足羽川」が、二十九年ぶりに復活する。同校出身で幅広く活躍中の作曲家、 笠松泰洋さんが学生時代に書き下ろしたデビュー作。  二十四日に開かれる同校同窓会「明新会」総会で、当時歌った八一年卒業生が思い出とともに再び合唱 を披露する。
 「足羽川」は七九年、同校の校内合唱コンクールの課題曲として生まれた。同校の音楽教諭から依頼を受けた当時大学生の笠松さんが、室生犀星の 同名の詩に作曲。足羽川の流れをイメージさせる緩やかなテンポの曲に仕上げた。初めての依頼作だったが、師事していた作曲家の三善晃氏から「とてもよくで きている。将来きっと君の代表作となるだろう」とほめられたという。
 コンクールに向け全学級が朝、昼、放課後に一カ月間練習を重ね、当時の在校生にとっては思い出深い曲となった。合唱の復活は昨夏、今年の総会 実行委を担う八一年卒業生の同窓会で、曲が話題に上ったのがきっかけ。県内在住者は秋から月一回、メロディーを思い出しながら練習を続け、四部合唱ができ るまでになった。
 総会は市フェニックス・プラザで開かれ、笠松さんのインタビューと、県内メンバーで収録した四部合唱のビデオ映像を披露。その後、同年卒業生約百五十人が二十九年ぶりに合唱に挑戦する。
 七九年以来、全く歌われることのなかった「足羽川」について、企画した総会懇談会部会長の森貞さん(45)は「古里の歌としてもっと多くの人 に親しんでもらいたい。でも、思い出の曲として自分たちだけのものにしておきたい気持ちも…」と吐露。「帰郷して足羽川の風景を懐かしむという歌詞の内容 も、同窓会で歌うのにぴったり。皆で古里の良さを再認識したい」とも話している。
 
 
3 俵万智さんミニトーク  「あの頃のこと」
 
俵万智顔写真
こんにちは、ご紹介いただきました、俵です。
今は仙台に住んでいて、福井に来るのは久しぶりです。丸岡町が主催していた「日本一短い手紙」の
選考委員をしていた時は、年に二回くら い来ていましたが、これがなくなってからは、本当に久しぶりに福井に来ました。今日は同窓会のトークということで「あの頃のこと」という何をしゃべっても いいようなタイトルをつけたんですけれど(笑)、私自身の藤島高校に通っていた思い出から始めたいと思います。
私の名前、「たわらまち」は本名なんですが、ご存知のとおり藤島高校の最寄り駅は 「田原町」で、 私は武生に住みながら毎日福武線に乗って田原町で降りて高校に通っていました。誰よりも早く名前を覚えてもらって、とても重宝した名 前です(笑)。本を出版してからは、田原町にちなんでペンネームをつけたのではないか、と言われたことも、いまだに信じてる方もいらっしゃいます(笑)。
 
高校時代は演劇部に所属していて、演劇部の仲間やクラスメートと出会ったのが、3 年間の一番の  収穫だったかなと思います。以前藤島高校の学校案内にも書いたんですが、高校時代の3年間というのは皆まだ何者でもない存在で、これから 何者にでもなれる存在で、そういう時にただの人と人として  青春時代を分かち合える時間を過ごせた、そこから生まれる絆って本当に豊かで強くて何物にも 替え 難いなと思います。今回の明新会総会は私たち56年卒が幹事学年ということで、実行委員長が演劇部の部長だった前川君、事務局次長が同じく演劇部の 川端君ということで、これはどうしても来ざるを  得ないなということで(笑)。ちょっと会うともう時計の針が巻き戻るというか、その頃の感じに戻れる仲 間っていいなと思います。
 
巻き戻る感じを実感したことが10年以上前にも、ありました。NHKの番組に昔の 仲間たちと青春時代を語り合うという企画があって、その時も演劇部の仲間に協力してもらいました。場所は藤島高校で、再会の場面はリハーサルなしでやろう ということになって、演劇部の皆さんが演出を考えてくれてますよ、ということで。今はもう無い、長屋と呼ばれる部室が並んでるところに何も知らずに入って いきました。何やってくれるんだろうと思って部室に入ったら、懐かしい仲間がただ背中丸めてトランプしてました(笑)。何だそりゃ!って(笑)その瞬間に 来る日も来る日も何が楽しくてあんなにトランプやってたのかって、あの時代に一気にもどるんですよね、そのままリラックスしておしゃべりしました。そうい うあの頃の一見無駄に見える時間がなんと豊かだったんだろうと今になって思います。今日も  ここに立つまでに何人もの懐かしい人に会って、時間が巻きも どる感覚を実感しています。

 
あと高校時代の大きな出来事ですが、2年生の時に失恋をしました。秋に修学旅行か ら帰ってきて  一学年上の大好きだった先輩に「一番好きな人じゃなくなった」って言われました。そのとき私は   「そうか、一番じゃなくなったんだ。 今、何番目くらいかな。よしもう一度がんばって一番に戻れるように努力しよう」と考えてまあ、初々しいというかおめでたいというか(笑)。恋愛というのは 努力したから元に戻れるというものでも、頑張れば何とかなるというものでもない、頑張れば頑張るほど墓穴を掘るという方が多いんですけれど(笑)。それま でけっこう優等生で勉強が大好きで、勉強という努力すればなんとかなるシンプルな物差ししか知らなかったんですが、頑張ってもだめなものがこの世にある な、というか、生きていく上でいろんな物差しがあるなということを知った初めての経験でした。その時も一番慰めてくれたのは演劇部の仲間でしたけれ ど。それで、全く勉強する気をなくしてしまって、1、2年生の輝かしい成績を話活用して(笑)早稲田大学に推薦入学しました。

 早稲田に入って、佐佐木幸綱先生という短歌の先生に出会いました。最初は憧れの先生に 何とかお近づきになりたい一心で、短歌を作り始めました。 もし、佐佐木先生に出会わなかったら、自分は今何をしてるんだろうなって不思議な気持ちになる ことがあります。もう一つ遡れば2年生の時に失恋していなかったら・・となりまして、いやあ、ふっていただいてありがたかったなと(笑)。そこから自分が 短歌と出会うというレールは着々と敷かれていたんだなと思います。
 
サラダ記念日という歌集は学生時代の後半と教員を始めた2年くらいの短歌です。そ の頃実家は福井にあったものですから、サラダ記念日に入っているふるさとの歌は全部福井のことを詠んだ歌です。 「なんでもない会話 なんでもない笑顔  なんでもないからふるさとが好き」という歌があります。  福井のよさはそこに尽きるなと私は思います。何でもないところに深みがあると言うのかな、東京 で  一人暮らしをするようになってつくづく感じました。帰ってくるとなんであんなに帰ってきたかったんだろうと思うんだけど、2輌編成の電車が走ってい て、そばがおいしくて、水仙の花が咲いている、   そういうことが全部輝いて見えるんですね。「水仙のうつむき加減優しくて ふるさとふいに思う一月」 「海鳴りに 耳をすましているような 水仙の花開くふるさと」日本海と水仙の取り合わせって絶妙だと思うんですよね。あと帰省をするときの歌で「期限つき 周遊券にて帰省する ふるさとは吾の途中  下車駅」帰ってきたつもりなのに、東京からの周遊券で途中下車しているようなちょっと寂しい気持ちの歌です。 結構鉄道が好きで、青春18切符で各駅で福井まで帰ってきたこともあります。なんで鉄道が好きだったかというと、学生時代に高田馬場でアナウンスのアルバ イトしてたんです。(アナウンス 実演していただきました)あと6大学野球のウグイス嬢もバイトしてたことあるんですよ(笑)(これも実演していただきました)。
こっちに着いてまだ間もないんですが、もう7、8人の懐かしい人に会って、私は同 窓会というのは、昔何者でもなかった自分たちが今何者になっているのかということを発見する楽しみがあるという  イメージがあったんですね、ああ今こん な仕事をしてるんだ、こんな人生を歩んでいるんだとか。   おじさんになったね、とかおばさんになったねとか(笑)。でもああそうじゃないんだなって思 いました。何者かになっているんだけど、それを忘れて何者でもなかった頃にあっという間に戻って、しゃべったりできる、そのことを味わえるってすごいなと 思います。高校生だった自分に戻れる、その時間を味わえる、そのことがもしかしたら、こうやって皆さんが集まっている醍醐味なんじゃないかな、とちらりと 思いました。私も一刻も早くここから降りてそちらの皆さんとビールでも飲みたいなと(笑)。お酒が飲めるというのだけは高校時代と違いますよね。今日は懐 かしい人たちと楽しい時間を味わえたらいいなと思います。ありがとうございました。


◎ 参考資料    「昭和56年」(1981年)は、こんな年
 
豪雪
《1月》
・「56豪雪」県内を襲う
前年の12月26日夜半から降り始めた雪は1月下旬まで  
降り続き、その間、3度にわたり大寒波が押し寄せ、1月 
15日には福井市、敦賀市でともに積雪量196センチを
記録。38豪雪を上回る豪雪となり、県内を大混乱させた。
交通機関はたびたび寸断され、孤立した和泉村には自衛隊
のヘリが救援物資を運ぶなど、県内各地で雪との闘いが繰
り広げられた。豪雪の中で、3回目を迎えた共通一次試験
は強行された。
 
・イランが米人人質52人を解放 (20日)
・米大統領にレーガン氏就任 (20日)
・臨時行政調査(第二次臨調)会長に土光氏決まる(21日)
 
 
《2月》
・福井県が「満100歳」に (7日) 
明治14年、嶺南と嶺北が合併して福井県が誕生して以来、7日で置県百年を迎えた。
県庁では置県100年記念式、各市町村で記念碑の除幕式が行われた。中川平太夫知事は毎年2月7日を「ふるさとの日」にすると提唱した。
 
・国鉄、4年連続の値上げ申請 (7日)
・ローマ法皇ヨハネ・パウロ2世が初の来日 (23日)
 
 
《3月》
福井県議会、臨工問題で8日間延長 (19日)
懸案だった福井臨工(現テクノポート)への一般財源投入をめぐり県議会が紛糾。新年度予算案の採決も見送り、会期を延長して再審議することを決めた。
 
・韓国大統領に全斗煥氏が就任 (3日)
・神戸市で「ポートピア81」開幕 (20日)
・レーガン米大統領、ワシントン市内で狙撃され重傷 (30日)
 
 
 
 
 
 gempatu
《4月》
敦賀原発で放射能漏れ発覚 (18日)
敦賀原発1号機の一般排水路に高濃度の放射性物質 
が流れ込み、浦底湾を汚染していたことが発覚。
(その後も二十数件の事故隠しが明るみに出て、「風評被害」が大きな社会問題化。漁業、商工観光業者には20億円を超す損害補償
space
金が支払われた)
 
 
 
 
・米国、スペースシャトル「コロンビア」の打ち上げ
成功 (12日)
・石原裕次郎さん大動脈瘤で倒れる。「重態」と速報(28日
 
 《5月》
・福鉄南越線のレール撤去始まる (16日)
3月末で廃線となった福井鉄道南越線のレール撤去作業が始まった。駅舎取り壊しも並行して 進め、7月いっぱいで完了する予定。南越線は名実ともに消えていく。
敦賀原発、六カ月の運転停止に、通産省(18日)
 
・仏大統領にミッテラン氏当選 (10日)
・ローマ法王、バチカンで撃たれる (13日)
・ライシャワー元駐日米大使「米国艦船が核持ち込み寄港」と発言 (17日)
 
《6月》
県庁お堀の「豪雪新山」ようやく姿消す (4日)
「いつ消えるか市民の話題になっていた県庁お堀の“豪雪新山”は4 日、誕生148日目でついにその姿を消した。・・・・1月8日福井市の排雪場に指定されて以来、1日千台を超すダンプカーが雪を運んで積み上げ た。・・・・一時は堀の中の県警本部の五階建て庁舎と肩を並べる高さ、15メートルの雪山となった。四月になってもゴミとススに汚れて黒々とそびえ立ち、 5月の声を聞いてやっと量を減らし始め、氷山のようにお堀を漂った。・・・・」(福井新聞記事抜粋)
 
・東京で通り魔、母子4人刺殺される=深川通り魔殺人事件 (17日)
・中国新主席に胡耀邦氏 (29日)
 
 
torihama《7月》
 
三方町の鳥浜貝塚で日本最古の丸木舟出土 (25日)
第6次発掘調査が進められている三方町の鳥浜貝塚で、縄文時代前期とみられる丸木舟の一部が見つかった。完全な形で見つかった丸木舟としては日本最古。
(その後の発掘調査で9月には本体部分が出土し、全容が明らかになった)
 
・大相撲の千代の富士、横綱に昇進 (20日)
・チャールズ英皇太子とダイアナ妃挙式(29日)
 
 
 
 
《8月》
 
福井市に県立朝倉氏遺跡資料館オープン (20日)
国の特別史跡・朝倉氏遺跡がある一乗谷の玄関口、福井市安波賀町に建設された県立朝倉氏遺跡資料館と埋蔵文化財センターの落成開館記念式典が20日行われた。
小浜線で置県100年記念のSL列車運行開始 (25日)
 
・円急落243円に (3日)
・台湾で旅客機墜落、作家・向田邦子さんも死去 (22日)
 
 
《9月》
 
・暴走族が福井署の派出所襲撃 (20日)
トラックに乗った暴走族グループが20日未明、福井市内の派出所2カ所を襲い、一升びんなどを投げ込んだ。4日後に高校生3人を含む未成年の少年12人が逮捕、検挙された。酒盛りの途中  「警察への恨みを晴らそう」と相談し、酒びんを盗んで犯行に及んだ。
 
・東京で5つ子ちゃん誕生 (2日)
・ポーランドの自主管理労組「連帯」が初の全国大会 (4日)
・三和銀行オンライン詐取事件で女子行員を逮捕 (8日)
 
 
《10月》
 
大飯原発3、4号機増設に町議会が同意 (16日)
関西電力大飯原発3、4号機増設の事前調査に同意するかどうかで延長されていた大飯町議会は、賛成多数で調査受け入れに同意することを決めた。
 
・エジプトのサダト大統領暗殺される (6日)
・アラファトPLO議長が来日 (12日)
・北海道夕張市の北炭夕張炭鉱でガス突出事故、計93人死亡 (16日)
・福井謙一京都大教授、日本人初のノーベル化学賞受賞 (19日)
・プロ野球、巨人が8年ぶりに日本一 (25日)
 
 
《11月》
 
盛大に置県100年式典。県庁新庁舎も落成 (1日)
総工費102億円をかけた県庁舎の落成式と併せて置県100年記念式典が行われ、中川平太夫知事は21世紀に向け「文化のふるさとづくり」を進めると呼びかけた。
 
・ロッキード事件で小佐野被告に実刑判決 (5日)
・ソ連共産党のブレジネフ書記長が西ドイツ入りし、独ソ首脳会談 (22日)
・鈴木改造内閣が発足。「灰色高官」も執行部入り (30日)
 
 
《12月》
 
敦賀原発が運転再開 (25日)
4月に放射性廃液漏えいなど一連の事故が相次いで発覚した日本原電敦賀原発(1号機)が9カ月ぶりに原子炉を起動、運転を再開した。
 
・ポーランド、軍政に移行。全土に戒厳令 (13日)
・レコード大賞に寺尾聡の「ルビーの指輪」 (31日)
 
(福井新聞などをもとに作成。外電は現地の日時)